こんばんは!
私は昨年、スピにズブズブはまっておりました!!!
スピにハマってみて変わったことは、定期的に占いをしてもらうようになった、家に観葉植物が増えた、生活するなかで方角を気にするようになった、アートが好きになったとか色々あります。
何か物事を考える上で論理的に考えがちな私が、スピにハマるって割と珍しいです。
一見すると、ファッションスピに見えたり、性格がある意味丸くなったと思われたりするかもしれません。
でも私がハマった理由は、スピを論理的に解せたに近しいです。
スピへの違和感
そもそも私がスピに興味を持ったのは、スピへの違和感です。
「願えば叶う」でお馴染みの引き寄せの法則などは、私にとって理解し難く、それを唱えているサマを異様だとさえ感じていました。
それは私が理屈で証明できないものを信じない性格だからです。
でも、スピって割と日常的に忍んでいまして(特に沖縄は)。
私の家では旦那の家族が結構そういう、、、えっと、、、まあそういう見えないもの信じる側面もありまして!!!!(深くは言わない)
なので、住む地域や方角なども結構限定されていたようで、当初私が独断で決めた家とかは割と良い反応をされなかったりすることもありました。
あ・・・・その時の私の心境ですか???
「悪い気?悪い出来事?そんなん気の持ちようじゃい!!!!
もし幽霊や悪い気なんざこの家に入ってきたらワシがより強い気で跳ね除けたるわい!!!
こんなに家族みんなで頑張って生きてんのに邪魔されたらたまったもんじゃねえわい!!
覇気や覇気!!!!ワシがいる限り守られてるから安心せい!!!!」
とまあこんな感じです🤣
私は家族がすごく大事なので、相手が誰だろうとマジで許しません。
家族を守るためには見えない何かにだって勝つ気持ちでいるわけです。笑
ここまででお分かりのように、私はスピに対して違和感が強い方の人間でした。
ですが、昨年はとにかく変化を付けたかった年でありまして。
人間がガラッと変化するのに手っ取り早い方法は、真逆を行くことです。
人間って、何かの答えを出すのにも、何かを決断するのにも、今までの自分の経験のなかから判断しています。
一番わかりやすいのが「トラウマ」ですね。
過去の経験から良くない結果になったことや、良くない出来事を招いたことは、分かりやすく選択肢から除外されます。
けれども、実はデパートで目につくものなども、なんとなく目についたように思えて必然的に選ばれています。(この話は長くなるので割愛します)
とにかく、今までの経験を頼りに、脳が勝手に取捨選択しているのですね。
なので視野を広げたいとか、自分を変えたいとか、ステージを変えたいと思った時は今までの自分じゃしないことを選ぶことが最良です。
私が避けてきたことがズバリ、スピというわけです。
真実かどうかも見抜けないようなことを信じる気持ち、そこに人が集まる心理、全てに興味が沸きました。
スピへの解を求めたんですね。
私なりのスピへの解
最初はまあ、「根拠は???」みたいなことばっかり考えてしまって、うまく馴染めなかったです。
でも答えが出ない物事なんてないと踏んでいたので(だってみんなも今までの人生、山あり谷ありだったと思うけど、なんとかなってきたでしょ?)、
とにかく無理矢理生活にスピを取り入れ続けてきました。
そして見えてきた答えは、「感情が出てきたこと、出た感情自体が正解」ということですね。
もっと具体的にしましょう。
まずスピに入り込んで私が一番に取り組んだのは、観葉植物を育てることです。
観葉植物って意外と育てるの難しいんですよね。
水をあげていても、買った時より明らかに葉が枯れ始めてきて、しかも茎から枯れるような寿命的な枯れ方ではなく、葉の一部が枯れるみたいなことが起こりました。
生き物に元気がないって、いやじゃないですか。笑
一生懸命に原因を探して、季節に合わせた育て方とか学んで、そのおかげで今は超元気に育っています。
そのときにふと気がついたことがあります。
観葉植物が良い気を巡らせているとか、悪い気を吸ってくれているとかは目に見えないし根拠はないけど、
生き物を大事にする姿勢が生まれたり、自分以外のことを一生懸命考えたり、自分以外のことに時間を使ったり、生き物が元気になって嬉しかったり、
そういう気持ちが出ていること、日常の中に自分以外の事柄が入り込む時間が増えたことは明らかな事実なわけです。
毎朝起きて元気に育っていると嬉しいし、確かに気分は良いです。笑
だから自分なりのスピへの解は、
観葉植物を育てたら本当に生活が良くなった!とスピを効果として証明できたというより、
観葉植物を通して私の人生のなかで良い選択が増えたから、生活が良くなったといえるという感じです。
なので今のところの体感でいうと、スピの効果とされるものは個人の結果論でしかないということです。
人によって「良い効果があった」「成功」とするレベルが違うから、絶対とは言い切れないのがこのマーケットのボヤッとした部分をつくっているのだろうと感じます。
左脳の人
信じる人と信じない人がハッキリしてるのは、まさにこのボヤッと感の影響ですね。
もし左脳(論理)の人で、尚且つ「引き寄せの法則」が嘘だと考えている人に説明するとしたら、
「100人に引き寄せを伝えて、10人が実践して、そのうちの2人が本当に成功したとしたら、その2人がそれを成功論として唱え始めます。
つまり10人に入った人しか、引き寄せによる成功は掴めないということです。」
みたいな感じで、嘘とは言い切れないことを説明できる(そういうしかない?)ような気がします。
実際、今までの私が「気の巡りを良くするという根拠(正解)があるなら、スピ的なことします」という考えていたとすると、
事前に根拠や正解が提示されない以上、観葉植物を育てるという選択肢は一生なかったでしょう。
でもいざやってみると、「観葉植物を育てた先に芽生えた感情こそが、スピの価値」に変化しました。
けれど、それは万人に共通して得られる効果とはいえません。
そもそも観葉植物を育てたとて、私自身がその感情に気付けなかったり、それこそが価値だと感じなかったりしたら、「スピは嘘。まるで無意味な行動をした」と思う結果になっていたでしょう。
スピという抽象的な物事を実践して、私にとって価値があるという解を得られた理由は、
「自分以外の物事に優しくしてる人は必ず幸せになるべきだ」と信じてる私の哲学(個人の学問として)にハマったからなんですね。
あとは、上手く行ったことや良い巡り合わせを何かのおかげといえるセンスも好きです。
脳の両軸
こうやって思うようになると、今まで制限かかっていた視野が広がり始めます。
自分がしてこなかったことをすると、今まで体感したことない感情にたくさん気付けるという体験が、また新しい体験への意欲を生みます。
なので最近は割と意味ないことに時間やお金を使っています。
今まで絶対無駄だと思っていたキャラクターのコレクションとかもですね。あと旅行も。笑
今までが「根拠→行動」だとしたら、今は「行動→自分なりの意味付け」となっているので、行動のハードルも下がりますし、無駄なことは何一つないと感じられます。
アメリカと日本の学力を脳科学的に捉えたものに、信仰心(右脳)と左脳の両輪の強さを唱えているものがあります。
簡単にいうと、感情→論理→行動→感情→論理・・・みたいな感じで、何をするにも「感情」がセットである方が良いというものです。
努力する過程では、「自分ならやれる」と自分を信じる気持ちとか、あとは「先祖が見守ってくれている」という信仰心もそうですね、そういうものがあるから人は進んでいけるということです。
だって、片脳より両脳使いの方が効率良いじゃないですか流石に!!!
「自分が家族を守る」とセットで「親戚の言い伝えも大事にする」が最強だし、
「自分の努力や才能を評価する」とセットで「みんなのお陰とする美的センス」が最強というのが腹落ちしたんですね。
そういう理屈がハマったのもあり、右脳が強化するだろうと踏んで、感覚的に無駄っぽい行動して、左脳で納得するみたいなことを繰り返しています。
そしたら見事に色んなことにハマりまくって割と楽しいです。
とまあこんな感じで今日は終わります!!今日の記事は書くのが難しくて、意味不だったように感じますが、、、見てくれた人いたら嬉しい🤣
ではまた!