書くと良いこと〜ヒロアカに無理やり繋げてみた〜

おっす!

 

「最近更新頻度たけーなー」

 

なんてお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

私は非常に波がありまして。

 

あれやこれやと考えが止まらない周期みたいなのが定期的に訪れます。

「何か考えることないっけ?」みたいな感じで、考えることを無理に引き出そうとしている節まであります。

 

異常の極みですな。

筋トレ

というのも、思考は筋トレだということに気がつきました。

人が何か物事を考えるとき、物事はその人の中での「デフォルト」に則って処理されています。

 

つまり考えること自体は負荷がかかっているように思えるけど、本能的なプログラムにおいてはその人にとって「より軽い考え方で」物事は処理されています。

 

なのでデフォルトに頼ってると、いつも使っているところだけ発達して、その他が弱まってしまうということです。

 

私が今年に入って「感じたことや考えたことを書く」という作業を進めている理由は、それですね。

 

なんなのこれ日記?

実は旦那にもこの記事を読んでもらってるんですけど、、笑

 

旦那の感想はいつも「なにこれ日記なの?よく分からんかったから飛ばし読みした!」みたいな感じです。笑

 

正解です。

 

そもそもマーケティングやライティングにおいては、文章を真剣に読む人はそうそういないということが大前提として設定されています。

 

なので読まない、よく分からない、が正しいです。

 

「でも読まれなかったら意味ないんじゃ???」と思うかもしれませんが、私の文章という色は変えてはいけません。

 

一般的に「この人に読んでほしい」が正解で「全員に読んでほしい」は不正解だから。

 

でも私が変えない理由の大部分は、「合わせるつもりは毛頭ない」というアーティスト的にここでは書きたいからです。

私は日頃、リサーチで得た事実を最適な形に考えて書く作業をし過ぎているから、思ったままを出す練習をしたいと思っています。

 

というのも「感じる→考える→書く(または話す)」の過程において、人は自分が思っている以上に”良い感じに”出そうとします。

 

悩み相談なんかそうですね。男女関係やお金事情とか特に。

 

相手の悪さを強調しているようで、実は「その人が言わんとしているところ」が浮いていたりします。

日記的に表出したいままを出すことで得たいのは、「感じる→考える→書く(または話す)」の速さです。

 

感情や思考はそれだけで抽象的なのに、”良い感じに書きたい”という雑念のせいで、書く難易度がより高まります。

 

具体的な事柄を考えて綺麗に出すことを極めてる一方で、感情のままに出すことで思い描いている未来は、感情や思考をできるだけ速く、綺麗に出せることです。

 

その結果その状態が私にとっての「より軽い物事の処理(デフォルト)」になるだろうと踏んでいます。

 

過去からは逃げられない

何か悩みに遭遇したときも、何か行き詰まったように感じたときも、人はより簡単に処理しようとします。

 

そのときに出た答えは、いつもの考え方(≒過去の思考習慣)から引き出されたものということです。

 

しかし「前にもこんなことあったな。」「自分はいつもこうだ。」という停滞感を招きがちです。

 

その停滞感を払うためには、新しい方法論が必要です。

 

「あの人だったらこういうときどうするだろう?」と考えるのは、自分にない新しさが必要だと分かっている証拠といえます。

そのときにやりがちなのが別の方法論探しです。

 

しかし、そもそも方法論は枝葉でしかありません。

 

その幹になっているのは習慣化された思考(デフォルト)です。

 

今までと違う考え方や方法が単に組み込まれることは、応急処置でしかなく応用が効かないので、別の悩みが生じたときにまた足が止まります。

 

しかし、新しい方法論に適した思考が習慣化されることは、長い目で見るとデフォルトが入れ替わることを意味します。

 

そうすると人生は結構イージーモードです。

解決策になるものを、無駄だと思っていた物事からも探そうとするという変化が起こるから、答え探しが上手くいきやすいです。

 

今まで無駄だと思っていたことが重要になったり、重く感じていたことがどうでも良くなったりすることは、デフォルトが変化していることを現すのですね。

 

余談(ヒロアカハマってる話)

ヒロアカ見終わって生き甲斐を失っている私ですけど。。。笑

 

デクってめっちゃ強くなってくじゃないですか。

 

ワンフォーオールの出し方を覚えてきて、出力の%を調整できるようになったのも強さの秘訣ですが、

 

飛び方とか、空中での立ち回りをうららかさん達から教わるシーンが、やたら後半に出てきていました。

 

あれってまさにデフォルトの変化に伴って、不必要が必要に変わったことが現れてると思うんです。

 

人の原理として、そのときに必要だと感じたもののみが選ばれ、情報として取り込まれているというのがあります。

 

情報は無意識に選別されているのですね。

 

なので「全部無駄じゃないかも?!」と意識的に拾う行動を繰り返していたら、自然とデフォルトが塗り替わって、割となんでも楽になります。

 

歪みまくった感性でアニメを見ていることが分かったところで、今日は終わりますー!

 

じゃ!