感情の先に欲を認知する。低俗な感情と高尚な志。

明けましておめでとうございます!!!

 

元旦からパソコンに向かう自分にびっくりしてる。

2023年を振り返ってると無神経に書き殴れる場所が欲しくなって、3分後にはここに書き始めてる(今ココ)。

 

年末年始に差し掛かると、SNSでは多くの人が今年はどんな一年だったか表現し始める。

みんな書く前に「今年はどんな一年だった?」って自問自答したと想像できる。

 

でも今年SNSで表出された振り返り文からは

 

  • 単に、例年通りどんな一年だったかを自問自答した
  • みんながSNSでそう語り出すから、「自分はこうだったよ!!」となんとなく語りたくなった

 

っていうパターンとは違う感情が現れているように感じる。

 

どちらかといえば「私は今年どんな一年にできた?」のニュアンスで自問自答したことが透けて見える気がする。

 

なんでニュアンスが変わったんだろう???って考えると、それはみんなが30代前後になったからだろう。

 

20代の頃なんて、みんな絶対年越しジャンプの画像載せちゃってるヤリラフィー系だったじゃん???

 

「年越し地球にいなかった!!!」と叫んでクソ楽しくて、人生謳歌してて、酒飲んで騒いでる時間に人生の不安なんてなかっただろうなと過去を振り返る。笑

 

そんな様子をSNSに載せる感情は、

「楽しいを友のみんなに共有したい!みんなハッピニュイヤ!!!飲み行こうぜ!!!」という種類だったと思う。

 

リア充アピのような「楽しんでる私を認めてほしい」の顕示欲ではなく、

 

ただ純粋に「みんなと遊びたい!みんなと居たい!みんなと飲みたいよ!!」っていう、

 

”愛情を表現したい”、”遊びたい”というもので、愛と所属の欲求から来ていた表現だった。

 

それに反して今年感じるニュアンスは「愛と所属の欲」「自己顕示欲」などに該当するものではないと感じる。

 

「人生に、選択に、歩みに”納得したい”」という感情(欲)から生まれてるものだと映る。

 

 

だって30代前後は仕事にも慣れて、自分なりの当たり前を確立できて、この先の人生どうアレンジできるか考え始める頃だ。

 

というより「自分の人生自分次第でアレンジできる」と分かり始めて、「この先の人生を私は”もっと良くできる”」と未来を描けるようになる頃。

 

みんな、自分の人生の主導権を完全に自分が持ってると体感しながら生き始めるのがこの年代だ。

その層にあるが故に、この一年、いろんなことを決めて、動いて、変化して、進んだんだろう。

 

その人生の動きから、「私は今年どんな一年にできたか」という自己評価チックなニュアンスの問いが生まれ、

 

そして他人に表出された文章からは「今年起こった変化や決断に納得したい」を感じる。

 

過ぎ去った一年、もしくはこれから来る一年に「”ちゃんとできた”と思いたい」という感情(欲)があるんだろう。

 

(人間は、相手からの問いに「はい」を一回言うと、次の問いにも「はい」と言いたい(一回出した決断を一貫させたい、決断に納得したい)という本能があるらしい)

 

人間は不安を持つ生き物だから、みんな自分の人生に納得したいし、安心したいし、期待したいもんね。

 

===

 

私は毎年割と「振り返り文」「抱負文」を書いてきた人間なんだけど、今年は自分の持つ感情に適した表現が見つからず、表出できずにいる。

 

ただ、パッと思いつく表現でいいなら、「私の人生デキ過ぎているな」かな。

 

昨日旦那になんとなく思いついた感情をポツポツ話したの。

 

「こう在りたい、こういう未来にしたい(未来に期待したい)って思えることは、すごく贅沢なことだと思う。

 

だって、25歳で妊娠して、結婚して、それだけでも出来過ぎているのに、

 

今年は子供たちの未来のために習い事を選んで、悩んでさ。

 

悩めることも、未来のために選択できる現状があることも、言い換えれば、未来に費やせる時間も労力もお金もあるってことでしょ?

 

こういう日々ってすごく贅沢なことだよ。

 

誰もが望んで、努力すれば必ず得られるものじゃない。

 

計画的にいかないのが当たり前な人生で、タイミングとか、運命とか、巡り合わせとか、いろんな奇跡が重なってて、

 

結婚できたとしても両家の価値観が合わないことなんてたくさんあるのにさ。

 

愛情がある両家に恵まれて、みんなに子供たちが愛してもらえてさ。

 

現状だけでも全部が出来過ぎてるのに、こうやって良い未来のために気力・体力・時間・お金が費やせるって、すごい幸せなことだよ。」

 

これは、現状に満足してるダメな私とも捉えられるね。

 

だけど、なんかダメと思えなかった。

ただ普通に今の私の素直な感情として受け入れられた。

 

 

===

 

さて、今年の振り返りにおいてみんなの文章から自分の感情と最適な表現を探しているうちに、現状に満足することをダメと捉えてる自分の価値観に遭遇。

 

なせダメと捉えてるのか?というと

 

  • 安定が故の怠惰を許せない自分がいるから
  • 自分なりの目標、逆境を超えるエネルギーこそ今までの私だったから

だと思う。

 

でも、じゃあどうして今の私の素直な感情として受け入れられたのかというと、

 

「自分なりの目標、逆境を超えるエネルギーで作られた私」

「何も超えなくて良いというライフステージ」

 

に変化したからだろう。

 

これまでの人生は、正直、逆境の連続だった。

 

ざっくり書くと

 

誕生→離婚→母親のために(お金のために)何でもした青春→看護師になっても、この家族に生まれた以上、お金の問題に悩まされ、平等な自由が手にできないと感じた20代→母親の脳梗塞を機に、親戚から聞かされた”母親のギャンブル依存”→これまでお前を信じてお前のために捧げた青春、私の人生を返せと心からの恨み出現→そんな中始まった母親のがん闘病生活、在宅介護生活、そして看取り。

 

母親の裏切り、信じていた人間からの裏切り、取り返しのつかないほどの時間や感情を奪われてきたと感じたとき、人生を振り返った。

 

兄弟の学費のために被災地で季節労働に行くと決めた時、看護学校にいきながら借金返済のために夜職を始めたとき、

 

それを知ったおばさんが私を止めてきて、それに反して母親が喜んでいたことを思い出して、全ての過去が繋がった。

 

そうすると

 

  • 母子家庭なんだから母親のために生きるのが正しい。
  • 専門学校は行くな。学費がかからない大学を目指せ。

 

そうやって何も知らない人間(教師・友人)が押し付けてきた「正しさ」に自分が潰されてきた過去をめちゃくちゃ恨んだ。

 

でも、今は、恨みなんてない。というか、学生時代なんてみんな未熟だし、教師にだって凝り固まった正義に支配されている人だっている、私含め誰しも良くも悪くも歪みがある、だから仕方がなかったんだと思う。

 

今は、逆境が私を作っている、逆境が私を守っていたと感じている。

 

逆境があったから、乗り越えようと思った。

不平等な社会が辛かったから、頑張ろうと思った。

目標のためには確実に進んで行こうと思った。

 

それが今の自分を作っている。そして今の自分は幸せだ。

 

つまりそれは、母親が作った逆境が、今の私の人生の土台になっていたということ。

 

「恨み」という強い感情が、私が頑張って生きていくための原動力になっていたということ。

「恨んでいる相手」が、私の人生を作るお守りになっていたということ。

 

今の幸せは、母親の上に成り立っていたと気づいた。

 

===

 

最初は恨んでいる人がお守りなんて、認めたくない事実だった。

でも考えていくうちに、そこに行き着いた。

 

2022年に母親が亡くなって

2023年に母親が飼ってて引き取った猫がなくなったとき、

 

母親が関わっていた物事、私と母親の間にあった物事や生命が一つ一つ消えていくのを感じた。

 

そのとき寂しさもあったけど、それと同時に、これから作られていく世界が私の価値観・判断・感覚に委ねられるという恐さ、責任の重さを感じた。

 

原動力、頑張ってきた方法、相談相手を失って。

これからは自分の中から原動力を生み出して、頑張り方を考えて、1人で決断して家族を幸せに導いていかなきゃって焦った。

 

母親という存在がもたらした逆境、恨み、反骨心からの脱却が、私の価値観・感覚・決断で生きていかなければいけない未来を見せた。

 

「自分なりの目標、逆境を超えるエネルギーで作られた私」

「何も超えなくて良いというライフステージ」

 

これは、超えるべき逆境が無くなった末の必然なのかも。

 

(てかむしろ、みんなそうやって人生歩んでるのかな、これが普通なのかなって初めて気づいた。)

 

今までの私は、現状に満足してはいけない、超えなきゃいけない、目標をなんとしても達成しなければいけない、に支配されて(お守りにして)生きていたけど、

 

そんな私が「私の人生出来過ぎているな」「今ある現状がただただ幸せじゃん」って現状に満足してる自分を受け入れられるのは、

 

母親というお守りから真に脱却した証なんだろうと思う。

 

===

 

そんな感じを踏まえて、私の2023年は、凄く出来すぎていて幸せな人生でした。

 

経験や思考、運命、ご縁、自分に授けられた全てに感謝できる今。

 

これから先は、負を根源として正に進んだエネルギーの作り方ではなく、感謝と愛情を根源とした正に進んでいけると感じている。

 

ただ、負が持つエネルギーも信頼してる。

 

「負けたくない」「悔しい」「見返したい」が正に傾くなら味方につけるべきで、恥ずることはない。

 

低俗な感情だって良い。

むしろ「人に感謝されたい」みたいな高尚な志なんてなくても良いよって。

 

ただ、知らず知らずのうちに、それが頑張らなくて良い言い訳になってしまわぬよう、

 

愛情と感謝を持って、大事なこと、大事なご縁、大事な生命を守っていくためにエネルギッシュに生きることは辞めない♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

 

 

ここまで読んでくれた強者がいるのか知らないけど、そういう強者・変人は大好き🤣(文句じゃないよ、愛情表現)

 

読んでくれてありがとう^ ^

 

昨年はたくさんありがとう!!!

今年もみんなにとっても、わたしにとっても良い一年になるよ!!!